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寂しさ=性欲と変換されてしまう異質さ。自分の身体を性的搾取から守ることの価値

セックス依存症に陥らないための重要な価値観として、「自分の身体を大切にすること」が挙げられます。


「そんなの当たり前すぎでしょ」と思われるかもしれませんが、私はこの言葉の意味が腑に落ちたのはつい最近、というか、ついさっきまで腑に落ちていませんでした。


「セックスするかしないかぐらい自分の勝手でしょ」と、心のどこかで思っていたのです。





セックスを覚える前の自分は、友達との関係はとても良好でした。男女ともに、良好すぎるぐらいだったかもしれません。友情が強固だったがゆえに、私は恋愛感情を表に出すことが苦手でした。恋愛感情とセックスへの憧れが密かに膨らんでいくけれど、普段の私を知る人は「気さくで男女の隔てなく付き合いのいい明るい人」という認識をされていたと思います。


でも、私自身心の中ではとても不安を抱えていて、誰かにその弱さを認めてほしい感情をうまく処理できずにいました。ずっと虚勢を張り続けて、笑顔を絶やさずにいて、自室に入ると一気に沈むように不安に駆られる。10代の頃はそんな不安定な状態でした。


学校での私は、明るく、勉強もそこそこできて、真面目で、積極的なタイプでした。メイクとかはあまり得意ではなくて、垢ぬけてはいませんでした。異性の気をひくような、恋愛するための努力はあまりできてなかったなと思います。


その時の私は、「周りの子みたいに、恋愛さえ上手く出来て彼氏さえできれば心も安定するはずだ」と思い込んでいました。そして、「恋愛が上手く出来ないのは、普段の自分の素性を知っている人は私のことを好きにならないからだ」という強迫観念に駆られていました。誰かを好きになって、自分のことも好きになってもらうなんて難しすぎて、勉強の方がずっと結果出しやすいよなって思ったりもしてました。


私がセックス依存への道に足を踏み入れてしまったのは、この頃のある経験でした。


それは、ネットの性的な書き込みができる掲示板でのこと。

「16歳の高1女子です。寂しくて眠れません」と書き込んだだけで、たくさんの人に声をかけてもらえたのです。

私は本当に寂しくて、助けてほしくて、切実な「寂しさ」を書き込みつづけました。

そして私のことを気にかけてくれた人たちが、こんなにもたくさんいるんだと思えました。


しかし、実際は違ったのです。

「寂しい」という言葉が、「性的なことがしたい」という意味にすりかわっていたのです。

性依存症に向き合い始めるまで、この事実に気づくことすらできませんでした。


私は掲示板に入り浸るようになり、その中の人と性的な話をすることで、どんどんのめりこんでいきました。中には写真を要求されたり、その上で通話を持ちかけられて一緒に自慰をしたりもしました。


それでも、私は「性的に搾取されている」ことには気づけなかったんです。

「私が寂しいから、みんな優しくしてくれているんだ」と信じていました。

実際は、相手なんか誰でもよかったし、私の寂しさや不安なんかどうでもよくて、写真や声で自慰をすることが相手の目的だったのです。


同じ頃に、私は痴漢被害に遭いました。


この時に「他人から侵食される恐怖」と、「女性としての自分の価値」を思い知らされました。異性と手もつないだことがない私にとって、下着の中に入ってきた手のおぞましい感覚は忘れることができませんでした。

そして、そのことを思い出して興奮してしまって自慰をしてしまう自分もいて、嫌悪感がありました。


「恋愛ができないのは自分に魅力がないから」

「見知らぬ人からは痴漢として狙われた」

この二つの考えから、私は歪んだ考えを持つようになりました。


「素性を知らない人なら、私のことを女性として魅力を感じてくれる」

というものでした。


以降、掲示板やSNS、そして出会い系に依存して、「女性としての私」を売りものにして、異性に構ってもらう用になっていきました。


セックスへの興味も元々強かったのもあって、のめり込んでからはあっという間でした。


そして、今の今まで「自分を安売りしていた」事実に気づかずにいたのです。


まともに誰かと向き合うことよりも、手っ取り早く誰かと繋がることを優先してきました。

少しずつお互いを知っていくのではなく、まずセックスをすることでしか異性と近づけなくなっていました。

いつしか自分の魅力はすべて性的な魅力に置き換えられ、自分には性的な魅力以外はなにもないという劣等感にすらなってしまいました。


「女性である」というだけで、性的搾取のターゲットになるということ。

性的搾取のために、善意を装って心の距離を縮めることがあること。(グルーミング)


10代の頃の私が、この事実をきちんと認識していたら、セックス依存症に陥ることは防げたのかもしれないとも思います。


だからこそ、今「若さ」や「女性としての価値」を手にしている人たちに伝えたいです。


自分の身体を、見ず知らずの人に差し出す前に、「この人は私にとって大切で、相手も私のことを大切にしてくれているだろうか」と、少し考えてほしいのです。


本当に大切な相手だったら、性的な写真や動画を要求するでしょうか。

本当に大切なら、こちらが戸惑うような要求をしてくるでしょうか。

本当に大切なら、「断ったらいなくなる」というような精神的な脅しを使うでしょうか。


どうか、「自分の身体を簡単に抱きたがる人」から、自分自身を守ってあげてください。

あなたの身体の価値を尊重し、守ってあげられるのは、あなた自身だけなのです。


もし自分を安売りしてしまって後悔していたり、うまく相手を拒めなくて悩んでいたりするときは、私に話しかけてください。

あなたの身体を守ってあげることはできないけれど、あなたの心に寄り添って、一緒に考えることはできます。


自分の身体を、どうか大切に守ってください。

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