「私だって、好きでこんな汚い部屋に住んでる訳じゃないよ。気付いたらこうなってて、どうしたらいいかわからなくなってるだけだもん」
私のインナーチャイルドが、度々口にする言葉。
私は物心ついたときから、とても変わった子供だった。
耳から覚える記憶力が凄まじくて、「はれときどきぶた」をよみきかせてもらって、字も読めないはずなのにスラスラ音読していたらしい。よく見ると、本は逆さまだった。という笑い話をよく親に聞かされる。世の中の音は全部メロディのように感じるから、机を叩く音の音階の違いを心の中で楽しんだりしてた。TVで流れる音楽をピアノで弾いて遊ぶのも好きだった。(これは今も割と好きかもしれない)
異様に発達した聴覚記憶とは裏腹に、視覚情報にひどく弱いということに気付いたのは、30歳の時に心理検査(WAIS)を受けたのがきっかけだった。いわゆる「間違いさがし」というのが本当に苦手なのと、とにかく空間を把握するのが苦手。よく人とぶつかるし、距離感をつかむのも苦手。自分でみんなそんなもんだろ、と思っていたけれど、結果的にはADHDであると診断がついた。
子供の頃から異常なほどに片付けることが出来なかった。そしてそれを、自分がだらしない人間だから仕方がないと思い込んできた。
「片付けなさい」といわれても、どこに何をどうやって片付ければいいのかがわからなかった。「片付けなさい」と言われるときは、大抵お母さんは怒っている時だから、余計な質問をしたらとんでもない目にあうのは理解していた。とりあえず床をあけるためにベッドや机に物をあげることが私にとっての第一の「片付け」だった。
しかしあっというまに机は埋め尽くされるし、ベッドは寝る場所が狭くなっていく。物にあふれて崩れそうな様子を見て、またあの言葉が降ってくる。「片付けなさい」と。仕方なく今度は、机の引き出しやクローゼットに物を押し込むことを覚えた。机やベッドからは一応物はなくなった。すると納得したのか、何も言われなくなった。
私にとっての片付けとは、「怒られないために物を目につかない場所に追いやること」だったのだ。
結婚して夫と生活し始めてから、生理整頓の方法を学んだ。
どこに何があるのかを把握するために、物の置き場所を決めておくこと。そして物を使ったら、決めておいた場所に戻してあげること。これが「片付け」だと知った。
私はそもそも、「物の置き場所を決める」という最初の一歩を知らなかったのだ。
インナーチャイルドは、漠然とした「片付けなさい」という言葉に怯えていた。ゴミの中に生きていると馬鹿にされ続けて、自尊心も地に落ちていた。
最近、インナーチャイルドの声が聴けるようになってきた。そして自分の子供と話すように、「一緒にやってみようよ。まずはパジャマはここね。そして服はここ。靴下はこっち。ほら、ちゃんとしまえた。汚い部屋が好きなわけないよね。本当は片付けられるようになりたかったもんね。ひとつひとつ、やりかたを覚えれば、ちゃんとできるんだよ。」と話しかけて、胸をなでてみた。
インナーチャイルドがどう感じているかはわからないけれど、少しだけ自分の胸の苦しさがかるくなったような気がした。
未だに片付けは苦手だ。きれい好きなばあちゃんに毎日怒られながら生活しているのは変わらない。それでも、自分で物の居場所を決める権利があること、そしてそれが物を管理するということなんだと、30年ほどかかってようやく理解できた。
生きづらさを抱えて何度も投げ出しそうになった人生だけれど、たとえ他人に鼻で笑われようとも、少しずつ成長していけるようになってきた自分を、誇らしく思うようにしている。
同じように片付けられないことで悩んでいる人へ。
「好きで汚い部屋にいるわけじゃないよね。一緒に順番に片付けていこう。」
私が汚い自分の部屋に向き合うきっかけをくれた、すてきな本です。
中古しかないみたいだけど、本当にぽろぽろ涙がでてきて救われるようなきもちになれます。
(noteより転載し、一部加筆修正しています。)
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