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「文字で語る」ことと、「言葉を吐き出す」こと

更新日:2021年6月9日

今日は、「文字で語る」ことと、「言葉を吐き出す」ことの違いについて、私なりに感じることを少しお話したいと思います。



少しブログの更新が滞ってしまっていましたが、その間自分の中で消化できていなかったことにきちんと取り組んでみたり、12ステップのステップワークを続けたりはしていました。


性依存症を自覚してTwitterを始めた当初、私の活動のメインは、「文字で情報を探り、文字で語る」ことでした。

自助グループが近くにないという言い訳で、ひたすら本を翻訳したり、SAの書籍を読んだり、そこから得た知識を自分なりにかみ砕いて、「文字で語る」ことで発信したり。


でも、正直いって、いくら文字で知識を入れて、文字でアウトプットしても、回復の実感はまるでありませんでした。


私にとって転機になったのは、オンラインミーティングの存在でした。

今まで参加を諦めていたけれど、オールアディクション(どんな依存症の人でも参加OK)のミーティングを仲間が主催してくれていて、そこに参加した時に、「文字で語る」だけでは身体中に滞ったままだった「感情」が、「言葉を吐き出す」ことによって出ていくような感覚に気が付いたのです。


私は「文字で語る」ことで十分だと思っていたけれど、それではまったくもって不十分でした。

「言葉を吐き出す」ことで、きちんと身体の中にもやもやと残っていた感情にも整理をつけることができるんだと実感がわいたのです。


そこから、少しずつミーティングに参加する習慣がつきました。

子育てとの時間の兼ね合いでなかなか参加できない悩みを抱えていたら、海外のミーティングを見つけて、そこに飛び込んでみたりもしました。

拙い英語で恥ずかしいという思いでいましたが、世界中のいろんな人たちが、母国語ではなく英語で、思い思いに自分の「言葉を吐き出す」ことで、回復しようと前を向いている姿に感銘を受けました。


口下手だから人前で話すのが恥ずかしい。

自分の話をするのは恥ずかしい。

ミーティングに出るのが恥ずかしい。

自身がないから恥ずかしい。

知らない場所に足を踏み入れるのが怖い。


すごく共感します。初めの一歩は、ものすごく怖いものです。

私自身がそうだったし、そのせいで「言葉を吐き出す」という観点に気づくまでに時間がかかった経験もあります。

だからこそ、「言葉を吐き出す」ことで、感情のもやもやも一緒に体の外に出せるような体験をしてほしいなと強く思います。


ミーティングで知らない人の前で語るのはちょっと怖い。

ということであれば、オンラインの個人相談も活用していただけたらなと思います。


「文字を語る」ことは、自分の考えを整理するにはとても有効な手段です。

ですが、あなたの感じている大事な「思い」が、文字に埋もれてしまうこともあります。


また、性依存症の悩みを相談していただく際、メールのやりとりは後から見返すことができる反面、文字の記録として残ってしまうため、アクシデント的に誰かに見られてしまう危険性があるという懸念もあります。


私の考えている個人相談のメインの目的は、「吐き出すこと」です。

知識を得ることや、考えを伝えることよりも、「言葉を吐き出す」ことで、自分の抱えている思いや苦しさに気づくこと。

その上で、問題にどう向き合っていくかを対話していくことで、解決策にアプローチしていきたいとおもっています。


性依存ヘルプサポートというサイトなので、表向きは性依存の相談がメインではありますが、吐き出していただく内容は性に関係ないことでも全く問題ありません。

吐き出したいことを、好きなように吐き出してほしいと思っています。


「言葉を吐き出す」経験を通じて、心を軽くできるんだよ、というのを、まずは体感してもらえたら嬉しく思います。


オンライン相談の予約はこちらから。



時間や連絡手段などの調整は可能ですので、お気軽にメールでお問い合わせくださいね。

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